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第1章 文明とともに歩んだ鋳物の歴史 1. 鋳物づくりのはじまり

人と金属の最初の出会いは紀元前5,000から6,000年で、はじめは天然に産出した金銀が装身具に加工されたり、装飾として木製道具類にはめ込まれて使われた。

紀元前3,000年ごろ、メソポタミアの南部に国家都市を建設したシュメール人は、人類最古の絵文字を粘土板に残しているが、そのなかに鍛冶工とか銅を意味する語がある。この地方を流れるチグリス・ユーフラテス川の上流は古代の銅鉱石の産地であり、青銅製の武器や装飾品がシュメール国王たちの墓から出土していることからも、これが鋳物づくりのはじまりといえよう。

青銅の扉を鋳造する古代のエジプト人

上段:足踏みふいごで風を送り、るつぼの中の銅を溶かす
中段:溶けた銅の入ったるつぼを炉から取り出す
下段:扉の鋳型に銅を鋳込む

紀元前2,000年以降にふいご(送風機構)が発明され、たとえばエジプト・テーベの墳墓から出土したパピルスには足踏みふいごでるつぼ内の銅を溶解し、かなり大きい扉を鋳造している状況が示されている。(右の写真を参照)

その後、溶解炉の形状や送風機構も急速に改良され、鋳型も砂岩質の開放鋳型から、2個の鋳型を合わせてその隙間に溶湯を流し込む合わせ型、さらに中子を用いた中空鋳物の作製などの技術改良が加えられた。

こうして、金など単体で産出する貴金属および銅を叩いて延ばしたり彫刻して装飾品がつくられた初期の金属器時代の次に、「銅」と「銅-錫合金」すなわち青銅鋳物を主体とした銅器の時代を迎えた。

鉄に関しては、金精錬の副産物として得られた鉄が用いられた。これは古代の砂金精錬で、砂金に含まれた砂鉄が還元集合してるつぼの中の溶けた金の上に集まったものが採取された。その後、磁鉄鉱、赤鉄鉱、褐鉄鉱などの酸化鉄鉱の還元精錬が行われた。紀元前16から前14世紀ごろ、台石上に鉱石と木炭を交互に積み上げたバッチ型式の炉を用い、炉底に溜まった海綿状の鉄を加熱と槌打ちして錬鉄を得た。

しかし、この錬鉄は軟らかく、青銅品に劣っていた。この錬鉄の表面に浸炭させ急冷して硬くする浸炭と熱処理という鉄冶金にとってきわめて重要な技術が、アルメニア山地やシリア人らによって行われた。

このように鉄鉱石から錬鉄がつくられ、さらに浸炭焼入れなどの熱処理技術が開発されると、は今までの銅や青銅よりはるかに優れた性質の合金として、急速に武器農耕具などに利用されるようになった。

アルメニアからシリアへ広まった鉄冶金術は、ギリシャへ入り、さらにアルプス地方から中央ヨーロッパと西ヨーロッパに広く普及した。アルプス地方は紀元前700年ごろ、エジプトは紀元前600年ごろと考えられる。

一方、中国大陸ではかなり古くから鋳造鉄器が存在していた。紀元前770から前475年の春秋時代中期に鋳造鉄器を認め、紀元前475から前221年の戦国時代には鋳鉄製農具も広く普及していた。

【アイシン高丘30年史掲載「鋳物の歴史」石野亨執筆より抜粋】

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