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第1章 文明とともに歩んだ鋳物の歴史 2. 中国古代の技術と日本への伝播

メソポタミア地方に始まった鋳物づくりの技術はしだいにヨーロッパやアジアの各地に伝えられた。メソポタミア地方との関係は明らかではないが、中国大陸でもかなり古くから鋳物がつくられ、その技術水準も高かった。

写真1:鎌の鋳造型
「新中国の出土文物」より

河南省で夏の時代(紀元前21~前16世紀)のころと推定される遺跡から、土器類とともに青銅器の破片が発見されている。その後、中国大陸では青銅器製作の最盛期を迎え、紀元4世紀頃の書物には鐘・斧・鏡など鋳造する製品の種類により銅と錫の配合割合を細かく示した記述が見られる。また、鉄の精錬鉄器の使用も春秋時代(紀元前770~前475年)からと考えられ、この時期の多くの墓から錬鉄を鍛造してつくった鉄剣などが発見されている。さらに、河北省で出土した鎌の鉄鋳型は、鋳鉄鋳物製造技術と農耕の発展を物語っている。(写真1参照)

このように3,000年以上前から青銅器を、2,500年前ごろに鉄鋳物を製作した中国の鋳物づくりの技術は、朝鮮半島に波及した。ここでは紀元前700年ごろから青銅器が、紀元前400年ごろから鉄器がつくられ、特に紀元前108年ごろから華北との文化の交流が非常に活発になり、鋳造技術も一段と進歩した。

日本は、石器時代のあと数千年のあいだ縄文土器を用いた時代が続いたが、紀元前300年ごろ南朝鮮から北九州の海岸地帯に弥生式土器に代表される文化が伝わった。そして、土器とともに初めて青銅器と鉄器が同時に中国大陸から朝鮮半島を経て我が国に渡来したと考えられる。

写真2:胴鐸

わが国で鋳物づくりが始まったのは、出土した鋳型の年代などから推定して弥生時代中期(紀元前100~紀元100年)であろう。中国大陸からの伝播経路としては、北九州および能登か敦賀から渡来した技術者集団が、北九州・近江・瀬戸内・畿内の各地に定着し、鋳鍛造などの金属加工業を営んだのであろう。

つくられた鋳物製品は、中国大陸から渡来した銅利器の模倣から始まり、銅鐸や銅釧〔くしろ〕(腕輪)、楯などわが国独自の形状・用途のものに移っていった。(写真2参照)

このころ鉄器の製造もかなり活発で、刀・剣・槍・甲冑〔かっちゅう〕などが主に鍛造によってつくられた。岡山県金蔵山古墳から古墳時代(300~600年)前期のものと思われる250点におよぶ鉄器が出土しており、その中の鉄斧は京都大学森田志郎博士の調査によると、C:3.96%、Si:1.36%を含んでおり、明らかに鋳鉄製で、日本でつくられたきわめて初期の鉄鋳物と思われる。鉄地金は、当時わが国より鉱工業の進んだ中国大陸で精錬された鉄地金がかなり輸入され、鉄原料として使われたようである。

【アイシン高丘30年史掲載「鋳物の歴史」石野亨執筆より抜粋】

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