第2章 技術革新の軌跡 1. 産業革命と鋳物技術

近代資本主義が最も順調に成長したイギリスで、その確立期である18世紀後半から技術、経営および社会的な変革が行われた。すなわち工業生産における作業過程が手作業から機械作業に移行し、工業の経営形態がマニュファクチャから工場制度へと生産様式を変え、工業生産が飛躍的に増大した。

こういった18世紀後半にイギリスから始まった産業上の変革を産業革命と呼び、この波は19世紀半ばヨーロッパの他の国々、19世紀後半アメリカ、19世紀末には日本にも及んだ。

産業革命はまず軽工業部門、特に繊維産業に始まり、やがて重工業部門へも広がっていった。その発端は1733年にイギリスの綿工業における飛杼[とびひ](フライ・シャトル)の発明といわれている。そして、1760年代以降相次いで綿紡績機械の発明とその工業化がはかられ、紡績機の動力も人力から水力、さらに1790年代に入ると蒸気機関が採用された。また、織布機械も18世紀末から発明と改良が繰り返され、1840年には工場制度が確立した。

軽工業部門に続き重工業部門でも、動力や燃料面の技術革新に支えられて機械化が進み、工場制度が完備していったが、この基本となったのは機械の素材である金属、特に鉄の生産における変革である。

前章で述べたように、鉄は古くは金精錬の副産物として採取して使用したが、その後、年度で覆った炉の中に砂鉄や酸化鉄鉱と薪や木炭を装入し、低温で還元して得られた海綿鉄が用いられた。

しかし、15世紀ごろ西ドイツ・ライン川流域のジーゲルランドで高温で還元し、溶融状態で炉外に流出させ、連続して鉄を得る効率の良い高炉製鉄法が発明され、15世紀末にはこの技術はイギリスにも伝播した。しかし当時高炉の燃料は木炭に依存しており、イギリスの森林資源は枯渇していく傾向にあった。1709年アブラハム・ダービーがこの高炉の熱源としてコークスの使用に成功し、1935年コークス高炉が完成したことは、鉄生産に新しい時代をもたらす動機となった。

アイアンブリッジ――鋳物技術の進歩

写真1:アイアンブリッジ地区(年代不詳)イギリス、セバーン川

写真2:写真2:アイアンブリッジ全景(1998年)

写真3:アイアンブリッジを下から望む(1998年)

イギリス中部にあるIronbridge Gorge Museumのガイドブックの表紙に、高炉の熱源としてコークスの使用に成功したことを記念して「この地で1709年に世界の産業革命が始まった(where in 1709 the World's Industrial Revolution began)」と記されている。

このアイアンブリッジ地区はバーミンガムから北西へ約60km、ロンドンから230km、マンチェスターから130kmのところにある。森の中を流れるセバーン川の右岸に、イギリス最初の高炉(溶鉱炉)、鋳物工場、圧延工場、機械工場および水車や高炉送風に用いられたエンジンなどの遺跡が点在し、産業革命発祥の地を記念する野外博物館を形成し、セバーン川には1777年から2年がかりで世界で初めてつくられた全長50m、橋高12m、幅7.2mの鋳鉄橋『Ironbridge』がその象徴的存在として優美な姿をみせている。(写真1,2,3参照)

この鋳鉄橋に代表されるように、産業革命は高炉の燃料としてコークス、送風動力として蒸気エンジンを取り入れるなど、鉄冶金や鋳造業に近代科学技術を大幅に組み込む端緒をつくり、鋳鉄鋳物が土木建築や産業機械の素材として広く利用されるようになったのである。

先に述べたように、約1世紀遅れて19世紀末にはわが国にもこの波が押し寄せ、わが国の鋳物づくりも近代科学工業としての鋳造工業へ大きく脱皮した。

【アイシン高丘30年史掲載「鋳物の歴史」石野亨執筆より抜粋】